癒しの風、千年の祈り

こんなこと、あんなこと、誰かに聞いてもらいたいことなど・・・、遠慮せずにお書きください。みんなでシェアしましょう。

バシャール

2007.12.05 18:23

先日、書店に行ったら、プロの格闘家「須藤元気」さんの『バシャル・スドウゲンキ』
という本が出でいました。何かおもしろそうと思って購入しました。
(須藤さんは、以前、江原さんの「オーラの泉」に出ことがあります)。

世の中、変わりましたねえ。。
リングで殴り合いするようなプロの格闘家が、スピリチュアルな番組に出演して、
スピリチュアルなことを語るなんて。そう言えば、プロレスラーの「前田日明さん」も
江原さんの番組に出たことがありましたね。
人間は、「変化の時代」に入ったのかもしれない。

「須藤元気」さんは、試合の後に瞑想にして、それでメッセージが降りてきて、
その場で引退を決めたという。そんな須藤元気さんと「バシャル」との対談です。
須藤元気さんは、量子物理学などの最新の科学や哲学への深い知識もあり、
アメリカ在住のダリル・アンカさんが、わざわざ日本に来て、
この対談が実現したようです。

ちなみに、「バシャール」とは「宇宙的な存在」で、ダリル・アンカさんを通して、
メッセージが伝えられます。(『バシャール』という本は、スピリチュアルなことに
関心のある人には、必見の本です)。

本の内容は、「地球の未来予測」といったような感じですが、
興味をもったところを少し紹介します。
但し、バシャールはこうも言っています。
「未来の予言というものなく、私たちは現在のエネルギーをリーディングしている」と。

来るべき2012年。「古代マヤ暦」では、2012年12月21日で暦が終りをつげ、
天文学では地球の「際差運動」で惑星の直列が起こるという。
そして、1987年以降、宇宙エネルギーは年ごと加速を増している。

・これからの地球は、ポジティブなエネルギーが増えていき、2012年に臨界点に
達する。それ以降は、ポジティブなエネルギーによって、ポジティブな出来事が
どんどん加速されていく。そして、現実がポジティブとネガティブに二極化し、
現実そのものが二極化していく。


・全般的に人類の意識は成長していき、多くの人々は覚醒する方向、
気づきが高まる方向に成長していく。
しかし、人によっては「ブレイクダウン」していく人もいる。

何がそうさせるかは、「あなたが体験する物理的現実は、あなたの外側に
あるのではなく、あなたの意識の内側にある」と言う。


であれば、人の心の持ち方、意識のあり方によって、
体験する現実が異なってくるということです。。

この変化を「宇宙物理学」の面から見ると・・・
2012年の12月21日頃、冬至の太陽が、地球から「三万光年」以上先にある
「天の川銀河」の中心と整列します。この現象は、約二万六千年に一回
起こると言われ、これで一つのサイクルが完了します。
簡単に言えば、日の出のとき、地球から見た太陽と、銀河面が造る角度が
ゼロになります。この現象は、天文学的には地球の際差運動(自転軸の方向が
変化する運動)の周期に関係しています。

「古代マヤ暦」では、2012年12月21日で暦が終わっているということで、
不吉なことを言う人もいますが、「終点」ではなく、「通過点」と考えるべきでしょう。
あらたなサイクルに向けての「出発点」であり、
ほんとうを言うと、それはすでに始まっている。

・2012を地球の次元上昇(アセンション)と捉え、周波数のステップアップと考えると、
意識のエネルギーが物質化、現実化するスピードが高まっていく。

・ある周波数に近づくと、人のサイキック能力もテレパシー的な能力も高まってくる。
2012年というのは、人類の「集合意識」が臨界点に達し、
ある境界を越えて次の段階に進む。


ミレニアムの2000年には、エネルギーの変容を受けて、この期を境にして、
スピリチュアルな能力を持ったカウンセラーが大勢現れました。
2012年以降は、さらに大勢の人が、自分の中にある「能力」に気がづくでしょう。

・2015年以降は地球上の大部分の人が「ETは存在している」と認めるようになる。

・温暖化現象は、これから10〜15年の間に起きる可能性が極めて高い。
そして、地球の氷の三分の二が、2025年〜2030年の間に溶けてしまう。


・2025年以降に「電磁場を利用したフリーエネルギー」の開発が加速化し、
2050年までには、地球上のエネルギーは、ほとんどすべてがフリーエネルギー
になり、それによって「無限のエネルギー」が得られるようになる。

・地球の温暖化問題では、このフリーエネルギーの実用化がすべてのカギになる。


・無限のエネルギーによって、あらゆる人々に様々なものを無限に供給できる
ようになり、人間の経済は今のような欠乏を土台にした経済ではなくなる。


しかし、この流れから言えば、フリーエネルギーが開発される前に、
温暖化によって海面が上昇し、建物で言えば、二〜三階までに水位が上昇するらしい。
そうすれば、私たちの生活はどうなるだろうか?

・今のような貨幣経済はしばらく存続しますが、やがてお金は必要でなくなってくる。
・来るべき社会では、社会の一人ひとりが持っているスキルや能力の交換を中心になされていく。
・ベジタリアンとオーガニックの未来。食料問題は解決される。
・地球への転生と地球人口の変化。
・黄金比は、私たちに驚異的な装置をもたらす。
・フリー・エルギーの先端研究者にも欠けている、決定的な粒子の視点。
・私たちの知っている「光」は、世界の構造の一番根本ではなく、2番目である。
・フィジカル・マインドとハイヤー・マインドとのコミュニケーションが「キー」となる。


非常に稀に、時空のある場所で、宇宙エネルギーの巨大な加速が起こる
2012年の冬至とともに始まる世界の新しいバージョン。
天空の「銀河の中心」を含む星の整列が、加速されたエネルギーを
地球に運び、大きな変化を呼び起こすでしょう。
二万六千年に一回起こると言われるこの出来事に遭遇する人は、
まなさしく幸運そのものです。今の時代、生きていくのも大変ですが、
私たちはあえてこの時代に生まれてきたのかもしれません。

もしそうであれば、・・・・
加速されたエネルギーで、時間の加速化、時間が短く感じられるでしょう。
人間の意識も今以上に拡大するでしょう。
思考が現実化するという速度も加速するでしょう。
それゆえまた、「人が体験する現実は、自分の内側にあるものが、
外に現れたものだ」ということも強く実感できるようになるでしょう。
人類に新しい時代、新しい目覚めがやってくるのかもしれない。。

実際、このようになるか分りませんが、
でも、時代は確実に変わっていくでしょう。

このにような事をもっと知りたい方は、下記が参考になりますす。
『アセンションの時代』−迷走する地球人へのプレアデスの智恵−
バーバラ・マーシニアック著、紫上はとる+室岡まさる訳、風雲舎
,

日本には、古来から言霊(ことだま)という言葉がありますが、
「文字や言葉」にはエネルギーがあると言われます。
つい先日、イスラエル在住の日本人の女性からメールが届きました。

彼女は、”MIXI”で「愛と感謝、水の結晶」のページを紹介されて、
読んだそうです。
http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_002.htm
そして、このページを紹介してくれた人から、「画面からいいオーラが伝わってくる」
と言われ、それで読んでいたら、「目から顔の周りから始まって、体の筋肉が”
ほわーっと”温かくリラックスした感じ」になったそうです。

実は、このようなメールはよくいただきます。
文字や言葉にもエネルギーがあるとすれば、パソコンの画面からエネルギーが
流れても、何となく分かる気がします。敏感な人には、それが伝わるのでしょう。
おもしろいですね。

しかし、ホームページを読んでいって、「女性性と男性性」について書いてある
ページを開くと、一転して「重い気持ち」になったそうです。
その最後あたりの 「アメリカ人として生まれたいなら、アメリカという国を憎めば良い」
と書かれてある部分をを見つけた時、原因はここだなと思ったそうです。
それ以降の文章は、とても気持ちが沈んでしまった。という話でした。

(真意は別のところにあったのですが)、今は、その文章は削除してあります。

文字や言葉にはたくさんのエネルギーが詰まっています。
文章を書く、言葉を発する人の心のあり方が、一つのエネルギーとなって、
よい言葉であれ、悪い言葉であれ、この空間へと流れ出ていってしまうのかも
しれません。だからこそ、敏感な人はそれを感じたりするのでしょう。

文章の作成の際には、細心の注意をしていますが、
今回の件で、その重要性を再認識したしだいです。。
下記のメッセージは、「掲示板」に書かれた内容に、
メールで送られた文章を付け加えたものです。
ご病気を抱えている方々に、少しでもお役に立てればと思い、
(お客さまの同意を得て)ここに再掲載しました。よろしく願います。

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こんにちは、はじめまして。
aki と申します。初めての書き込みです。
ちょくちょくと、気の里ヒーリングを見て参考にしています。

私は筋肉の難病の治療中なんです。9年目です。24歳です。
病名は、アセチルコリンリセプター抗体陰性型の重症筋無力症です。
私が発病した頃は、陰性型はまだ認められず、医者にも見離され、
寝たきり生活を5年間も過ごしました。

でも、去年末ぐらいから自然療法や呼吸法など、いろいろ試した結果、
まったく症状が出なくなりました。
まだ薬を飲んでいるので分かりませんが・・・前に比べると全く違います。
今は病気だったのかな? と思ったりします(笑)
後は体力作りと、薬とサヨナラするだけです!

一日一日「治れ!治れ!」と繰り返していますが、
私の周りには、同じ病気で治癒を目指している人がいません。
治る気がするんですが・・・。

正式な病名が分かり、治療が始まったのは約3年前です。
その頃は握力はあっても「3」でした。自分のことはほとんど出来ず、
母に介護してもらっていました。現在は握力「14」です(今はもっとあると思います!)
今は、朝、夕に、庭を自分の足で散歩し、母と歩いて夕飯の買い物に行き、
昼食や夕飯を作り、毎日たくさんおしゃべりをしています。

私の一番の変化は、病人になることをやめたことだったかもしれません。
私は健康だ! 健康なんだからもう車椅子は要らない。
健康なんだからこのコップを持つことが出来る。
少しずつ、少しずつ、あらゆることに言葉をかけていきました。
それが出来たら、体に「ありがとう、頑張ったね!」と話しかけました。
その毎日の繰り返しでした。

今は毎日とても楽しいです♪
髪型も変え、ずっとしたかった髪も染めてみたりして、とにかく病人をやめました。

今は薬を飲み忘れるほど元気です!
(もう薬はいらないと声も聞こえてきているのですが・・・。)
今も、ぐんぐんと元気になっています。

実は、ここまでの道筋で、手探りの中、たくさんのことを考えました。
病気の意味、メッセージ、私の中の「なぜ?」という疑問を。
自分と向き合い、一つ一つ解きほぐしていきました。

今の自分、これからの自分には何ができるのか、何をして生きていくべきなのか。
ベットの中で、もんもんと考えていました。
西洋医学や東洋医学、食事についていろいろ調べ、実践してしていくと同時に、
ひたすら自分と向き合いました。これも大きかったと思います。
そして、私の体からは病気が去っていったように感じます。

病気の人の痛みや辛さは、病気の人にしか分かりませんが、
前の私には、確かに病気に対しての甘えがありました。
病気になりましたが、私は私なりに出来るお仕事に出会いました。
他にも、感謝しても仕切れないぐらいのたくさんの出会いがありました。

一時期、病気があっという間に悪化したことがあります。
”薬”で病状が落ち着き、「このぐらいなら、治らなくてもいいや、
このまま安定した日が続けば・・・」と思ったことがあります。
そんな生半可な私の気持ちを聞いていたかのように、
病気は、あっと言う間に悪化したのです。
しゃべることも、呼吸も難しくなり、栄養剤の日々がまた戻ってきたのです。
でも、そこまで来て、私はやっと真正面からこの病気を治さなくては・・・と思いました。

きっと、「甘えてないで他に進む道がある。早く気づきなさい!」と
知らせしてくれたのだと思います。

回復の途中、「気の里ヒーリング」のホームページに出会いました。
自分の体は自分の心の声をきいている・・・と実感してはいましたが、
ホームページの「一秒間に50万個の細胞が生まれ変わる」と言う言葉を見て、
一秒もムダには出来ない!と思いを改めました。
それからも、私の体はぐんぐんと良くなっています。

西洋医学の先生方からは、誰一人、「治る」という道筋を教えてもらえませんでした。
また、「治る」という言葉も聞いたことがありません。
なので、私は自分で調べてたどり着くまで、治癒への道を知りませんでした。
知らず知らずの内に、西洋医学がすべてだと思い込み、西洋医学の先生の言葉、
薬、医療は確かなのだ、と思っていました。

主治医の先生が「治らない」と言うのなら、うまく付き合っていくしかないと、
潜在意識の中に入れてしまっていました。
(今ではその時間を心にも、体にも申し訳なかったと思っています)。

私のような体験はなかなか出来ることではないので、今では感謝でいっぱいです。
私は、これからまだまだ勉強し、私の体験を活かしていかなければと思っています。

今、病気で苦しんでいる方で、新しい自分へ向かうのが怖いと思っている方が
たくさんいると思います。私もそうでした。でも、真正面から立ち向かい、
新しい道へと進むのはとても楽しいことだと実感しています。

病気になった人には、病気を引き寄せるだけのパワーがある。
なので、そのパワーがプラスに働いたとき、とても強いパワーが出るのだと思います。
いまはそれを実感しています。

寝たきり生活から、ここまできたのですから、
願う力は本当に奇跡を起こすことが出来るのです!
少しでも多くの人が自分の中の治癒力に気づき、
どんどん健康になって欲しいと思います。

私も焦ってはいけないと思いつつ、早く薬をやめ、新しい道を目指して、
心は毎日わくわくしています。

長い文ですが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
aki より

光に向かって

2007.03.15 23:51

こんにちは、ハンドルネームの「空」です。
その節は大変お世話になりました。 

あれからいろんなことが見えてきました。
わたしの価値観も変わって参りました。
岡部さんがおしゃってくださったように、
いろいろな出来事は、私にとって大切なプロセスであると思います。

また、カウンセラーをご紹介くださったこと、
こころより感謝申し上げます。最初はブログを見ただけで、
『はたして、いったい、これはどうして…』 の世界でしたが、
子供の頃、一人でいた時の世界に通じるものがあり、
今では、『もっと光のある方へ』意識して求める自分がいます。

実は、先日こんなことがありました。

長い間、「インナーチャイルド」を抱えていた私は、
愛というもの、愛されるという感覚、人を愛する、好意を表現する、
また、それを受け取ることが苦手で、その術をあまり知りませんでした。
両親からの”ハグ”も、両親を大好きと思った記憶もありませんでした。

主人との関係も、彼は情感豊かなタイプではないので、
夫婦ってなんだろうと、15,6年近くたって気付いたありさまです。
でも、れいざん先生やみなさまとのご縁もあって、
本当の自分というものの存在を少しずつ知るようになりました。

とはいえ、俗にまみれた生身として、一つの願いがありました。
それは、ひとりでもいいから、丸ごとの自分を無条件に愛してくれて、
愛されていることを実際に感知したい、というものです。 
う〜ん さもしい…

感じ取る私側の問題もあるから、周りが全て悪いわけではない…とつぶやきつつ
神さま?天?に向かって、言ってしまいました。

(分かっているけれど、神さまの存在を確かなものにしたいから)
『いちどでいい体感させて 』と…

2日後ぐらいでしょうか、
さあ眠ろうと、電気を消して布団に入ったとたん、
金縛りのように、空気が濃密な感じになり、これはヤバイかも…と思っていると、
それは、かつてない感覚で恐ろしいほどの容量で、
「自分がものすごく大きく愛されている」という、
惜しみない与えるだけのありったけの愛で、
オーバル形に包まれているのを感じました。

たとえようがない、とはこういうことを言うのでしょう、
激しく、深く、広く、髪の毛1本残すことなく、愛されているという感覚でした。

同時にやってきたのが(むしろ先立って)、去年亡くなった父で、
(判断の理由なんてありません、父でした。)
実際、目には見えないのだけれど、ソフトボールくらいの丸い薄靄のように感じました。

父は限界のある親でしたので、残された問題だらけの母のことを
言いに来たのかと思いきや、全くソレには触れず、
親として私に伝えられなかったものを侘びとともに、
懸命に差し出しているのが分かりました。

私は、『私のことはもういいから、自分のことをしに帰りなさい』
(どうしてこんなことを言ったのだろう?)と送り返すとともに、
私の中の、少なくとも父に関する愛されなかったことの負の存在が
上に向かって放たれるのを見送りました。

この間、私は、たとえるなら だ、だ、泣き といえばいいでしょうか、
ナミダ・ナミダで、実際に”えっえっ”と嗚咽しているのがわかります。
愛の ただ愛の とてつもない大きさに全ての細胞が感動して震えている
のがわかりました。

愛されるって、こういうことだったのね…なんてすごいのだろう…

そして、その直後どうにも苦しくなって、トナリに寝ている主人をかろうじて呼んで、
気付いた彼に揺すり起こしてもらったのですが、
1時間ほどナミダが止まりませんでした。

またその2日後には・・・
寝ようと目を閉じたとたん、まぶたの裏に真っ黒い暗雲が少しずつ
ほどけていくように開けて、光が差し、そこから目も眩む白い光が
溢れでて来るのが映像のように見えて、
その強烈な光におもわず目を開けてしまいました。 
眩しくて目を開けたなんて…

さらに2日後・・・
明け方、左の耳元すぐそばで、ピシリと電球がつぶれるような、それでいて
妙に生々しさがこもった、なんとも聞いたことのないような音が大きく鳴りました。
私は過去のトラウマから、寝ているときの突然起こる
大きな音に敏感に反応してしまうのです。
半泣きであわてて起きました。

…ナンダ、空耳か、… 
あー主人の歯軋りかも…と また眠りについたのですが、
今度は右の耳元で ピシリ。歯軋り?…眠れず考えてみました。

でも、…どうして主人の寝ていない側の左からも聞こえたのだろう…
それに今まで主人の歯軋りなんて聞いたことないし…
…いったい何が?

それらは何かの合図、だと思っています。

私は光のある方へ近づきたいと模索しています。
どこへ行けばいいのでしょう、誰にたずねればいいのでしょう、

でも、
求めていれば必ず出会えるものと信じています。
どこを、どう探せばたどり着けるのかは分かりませんが、
ありきたりの感覚をフルに立たせて
求めて行こうと思っています。

私は知っています。
なぜ知っているのかわかりませんが、思い出せないだけだとわかっています。
そこに平安と喜びがあるのを はっきりわかっている自分がいます。

…どうして この上の3行 が出てきたのか不思議です。

岡部さん、ありがとうございました。
もっと もっと進んでいきますね。
ほんとうに ほんとうに ありがとうございました。

宙のように深い深い感謝をお伝えしたく、お時間いただきました。

感 謝
ドキュメンタリー番組、『泣きながら生きて』を見て

11月3日の夜、フジテレビで「泣きながら生きて」というドキュメンタリーが放送され、
久しぶりの涙・涙・涙の連続でした。
(文化庁芸術祭参加作品で、きっと何かの賞をもらって、再放送されると思います)。

記憶にある人もいるでしょう。
何年か前、中国から日本にやってきた小学生の女の子を主人公にした『小さな留学生』
というドキュメンタリーが話題になり、そして、それが中国でも大きく取り上げられ、
一時は、あの放送で、日本人に対するイメージが変ったと言われたほどでした。
その中国人スタッフたちによる今回の制作番組です。
今回は取材およそ10年といわれます。

内容は、上海から日本に来た男性と、中国で離れて暮らす
3人家族の涙と愛の15年間の物語です。

男性は「文化大革命」の荒らしの中で育ち、
そして、電気もガスもない農村に追いやられ、
雨水をためて暮らすような過酷な生活で生き延びる。
(妻も同じような境遇の中を生きてきたのだ)。

そして、35歳のとき、日本にやってきたのである。
中国では、学びたくても学ぶことができなかった。
それで、知人に借金をして日本語学校に入学したが・・・
思いもよらぬ十数年を送ることになったのである。

自分は、学びたくても学ぶことができなかった。この思いからでしょうか。
娘に教育を受けさせるために日本で働き、仕事をいくつも掛け持ちして
朝から晩まで働き、しかも家族とは8年間も会うこともないまま。
そして別れた当時、小学生だった娘は18歳になり、アメリカの大学に合格。

娘はアメリカに向かう途中、日本に立ち寄り、八年ぶりに父親と再会。
そこはほんとに質素な安アパートだった。
娘もびっくりしたでしょうね。父親がこれほどまでに働いて、
自分のために学費を出していたと知って。
そして、別れの際に、必死に涙をこらえるシーン、涙・涙・涙

それから5年後でした。妻が娘に会うためにアメリカ行きの「ビザ」を取り、
そして、東京での72時間のトランジット(短期滞在)を利用して、
13年ぶりの夫婦の再会。信じられないような話だ。
13年間もよく我慢して待ったものだ。
13年間も待たせる方も辛かったろうが、待つ人もさぞかし辛かったでしよう。

実際、13年も帰ってこなかった夫に対して、妻は一時は不信をもっていたと言うが、
質素なアパート住まい、年取った姿を見て(相当の苦労があったのでしょう)、
夫は自分のすべてを犠牲にして、娘のために、必死に働いてきたのだと知る。
そして別れの時、成田に向かう電車の中で、必死に涙をこらえる二人、
どんなフィクションもかすでしまうほどの、劇的な再会と別離だった。

印象に残ったのは、・・・・・
「親は子供のために尽くす、それが親の責任である」という言葉だった。
当たり前と言えば当たり前の言葉ですが、
伝わってくる「言葉の重み」が全然違っていた。
13年間も家族に会えないまま、一人でがんばってきたという事実がそれを現していた。
いまどき、こんな人がいるだろうか。

そして、娘の大学卒業とともに、中国に帰ることになったのだ。
飛行機の中での姿が感動的だった。
窓から自分が過した地を眼下に見下ろし、
目にいっぱい涙をため、手を合わせていたシーンは感動的だった。
手を合わせているその姿は、私には「神々しく」映った。
(どうすれば、人はこうも謙虚になれるのだろうか)。

そして、最後の言葉・・・
私は「日本という国との出会いがあったから、今の自分があった」
という言葉には驚きである。13年間も妻に会えなかったのに、
自分のすべてを犠牲にしてきたのに。

誰もうらむことなく、嘆くこともなく、めげることもなく、
自分の不遇をなげくことなく、ただひたすら必死に働いて生きていく。
(どうしたら、人はそうなれるのだろうか)。

子を思う親の愛の深さ。
異国の地でただ一人、ひたすら娘のために、身を粉にして働き続けた男の人生。
そして親から子へ、命のリレー。娘はアメリカで「産婦人科医」になって、
親の恩に報いて生きていく。

親の愛、夫婦のきずな。
誠実さ、一途、謙虚さ、人の一生、人生の重み。
そんなことを考えさせられた番組でした。
「泣きながら生きて」はそんな感動的なドキュメンタリーだった。

いつかまた、再放送されますように!