「泣きながら生きて」を見て
2006.11.04 23:45
ドキュメンタリー番組、『泣きながら生きて』を見て
11月3日の夜、フジテレビで「泣きながら生きて」というドキュメンタリーが放送され、
久しぶりの涙・涙・涙の連続でした。
(文化庁芸術祭参加作品で、きっと何かの賞をもらって、再放送されると思います)。
記憶にある人もいるでしょう。
何年か前、中国から日本にやってきた小学生の女の子を主人公にした『小さな留学生』
というドキュメンタリーが話題になり、そして、それが中国でも大きく取り上げられ、
一時は、あの放送で、日本人に対するイメージが変ったと言われたほどでした。
その中国人スタッフたちによる今回の制作番組です。
今回は取材およそ10年といわれます。
内容は、上海から日本に来た男性と、中国で離れて暮らす
3人家族の涙と愛の15年間の物語です。
男性は「文化大革命」の荒らしの中で育ち、
そして、電気もガスもない農村に追いやられ、
雨水をためて暮らすような過酷な生活で生き延びる。
(妻も同じような境遇の中を生きてきたのだ)。
そして、35歳のとき、日本にやってきたのである。
中国では、学びたくても学ぶことができなかった。
それで、知人に借金をして日本語学校に入学したが・・・
思いもよらぬ十数年を送ることになったのである。
自分は、学びたくても学ぶことができなかった。この思いからでしょうか。
娘に教育を受けさせるために日本で働き、仕事をいくつも掛け持ちして
朝から晩まで働き、しかも家族とは8年間も会うこともないまま。
そして別れた当時、小学生だった娘は18歳になり、アメリカの大学に合格。
娘はアメリカに向かう途中、日本に立ち寄り、八年ぶりに父親と再会。
そこはほんとに質素な安アパートだった。
娘もびっくりしたでしょうね。父親がこれほどまでに働いて、
自分のために学費を出していたと知って。
そして、別れの際に、必死に涙をこらえるシーン、涙・涙・涙
それから5年後でした。妻が娘に会うためにアメリカ行きの「ビザ」を取り、
そして、東京での72時間のトランジット(短期滞在)を利用して、
13年ぶりの夫婦の再会。信じられないような話だ。
13年間もよく我慢して待ったものだ。
13年間も待たせる方も辛かったろうが、待つ人もさぞかし辛かったでしよう。
実際、13年も帰ってこなかった夫に対して、妻は一時は不信をもっていたと言うが、
質素なアパート住まい、年取った姿を見て(相当の苦労があったのでしょう)、
夫は自分のすべてを犠牲にして、娘のために、必死に働いてきたのだと知る。
そして別れの時、成田に向かう電車の中で、必死に涙をこらえる二人、
どんなフィクションもかすでしまうほどの、劇的な再会と別離だった。
印象に残ったのは、・・・・・
「親は子供のために尽くす、それが親の責任である」という言葉だった。
当たり前と言えば当たり前の言葉ですが、
伝わってくる「言葉の重み」が全然違っていた。
13年間も家族に会えないまま、一人でがんばってきたという事実がそれを現していた。
いまどき、こんな人がいるだろうか。
そして、娘の大学卒業とともに、中国に帰ることになったのだ。
飛行機の中での姿が感動的だった。
窓から自分が過した地を眼下に見下ろし、
目にいっぱい涙をため、手を合わせていたシーンは感動的だった。
手を合わせているその姿は、私には「神々しく」映った。
(どうすれば、人はこうも謙虚になれるのだろうか)。
そして、最後の言葉・・・
私は「日本という国との出会いがあったから、今の自分があった」
という言葉には驚きである。13年間も妻に会えなかったのに、
自分のすべてを犠牲にしてきたのに。
誰もうらむことなく、嘆くこともなく、めげることもなく、
自分の不遇をなげくことなく、ただひたすら必死に働いて生きていく。
(どうしたら、人はそうなれるのだろうか)。
子を思う親の愛の深さ。
異国の地でただ一人、ひたすら娘のために、身を粉にして働き続けた男の人生。
そして親から子へ、命のリレー。娘はアメリカで「産婦人科医」になって、
親の恩に報いて生きていく。
親の愛、夫婦のきずな。
誠実さ、一途、謙虚さ、人の一生、人生の重み。
そんなことを考えさせられた番組でした。
「泣きながら生きて」はそんな感動的なドキュメンタリーだった。
いつかまた、再放送されますように!
11月3日の夜、フジテレビで「泣きながら生きて」というドキュメンタリーが放送され、
久しぶりの涙・涙・涙の連続でした。
(文化庁芸術祭参加作品で、きっと何かの賞をもらって、再放送されると思います)。
記憶にある人もいるでしょう。
何年か前、中国から日本にやってきた小学生の女の子を主人公にした『小さな留学生』
というドキュメンタリーが話題になり、そして、それが中国でも大きく取り上げられ、
一時は、あの放送で、日本人に対するイメージが変ったと言われたほどでした。
その中国人スタッフたちによる今回の制作番組です。
今回は取材およそ10年といわれます。
内容は、上海から日本に来た男性と、中国で離れて暮らす
3人家族の涙と愛の15年間の物語です。
男性は「文化大革命」の荒らしの中で育ち、
そして、電気もガスもない農村に追いやられ、
雨水をためて暮らすような過酷な生活で生き延びる。
(妻も同じような境遇の中を生きてきたのだ)。
そして、35歳のとき、日本にやってきたのである。
中国では、学びたくても学ぶことができなかった。
それで、知人に借金をして日本語学校に入学したが・・・
思いもよらぬ十数年を送ることになったのである。
自分は、学びたくても学ぶことができなかった。この思いからでしょうか。
娘に教育を受けさせるために日本で働き、仕事をいくつも掛け持ちして
朝から晩まで働き、しかも家族とは8年間も会うこともないまま。
そして別れた当時、小学生だった娘は18歳になり、アメリカの大学に合格。
娘はアメリカに向かう途中、日本に立ち寄り、八年ぶりに父親と再会。
そこはほんとに質素な安アパートだった。
娘もびっくりしたでしょうね。父親がこれほどまでに働いて、
自分のために学費を出していたと知って。
そして、別れの際に、必死に涙をこらえるシーン、涙・涙・涙
それから5年後でした。妻が娘に会うためにアメリカ行きの「ビザ」を取り、
そして、東京での72時間のトランジット(短期滞在)を利用して、
13年ぶりの夫婦の再会。信じられないような話だ。
13年間もよく我慢して待ったものだ。
13年間も待たせる方も辛かったろうが、待つ人もさぞかし辛かったでしよう。
実際、13年も帰ってこなかった夫に対して、妻は一時は不信をもっていたと言うが、
質素なアパート住まい、年取った姿を見て(相当の苦労があったのでしょう)、
夫は自分のすべてを犠牲にして、娘のために、必死に働いてきたのだと知る。
そして別れの時、成田に向かう電車の中で、必死に涙をこらえる二人、
どんなフィクションもかすでしまうほどの、劇的な再会と別離だった。
印象に残ったのは、・・・・・
「親は子供のために尽くす、それが親の責任である」という言葉だった。
当たり前と言えば当たり前の言葉ですが、
伝わってくる「言葉の重み」が全然違っていた。
13年間も家族に会えないまま、一人でがんばってきたという事実がそれを現していた。
いまどき、こんな人がいるだろうか。
そして、娘の大学卒業とともに、中国に帰ることになったのだ。
飛行機の中での姿が感動的だった。
窓から自分が過した地を眼下に見下ろし、
目にいっぱい涙をため、手を合わせていたシーンは感動的だった。
手を合わせているその姿は、私には「神々しく」映った。
(どうすれば、人はこうも謙虚になれるのだろうか)。
そして、最後の言葉・・・
私は「日本という国との出会いがあったから、今の自分があった」
という言葉には驚きである。13年間も妻に会えなかったのに、
自分のすべてを犠牲にしてきたのに。
誰もうらむことなく、嘆くこともなく、めげることもなく、
自分の不遇をなげくことなく、ただひたすら必死に働いて生きていく。
(どうしたら、人はそうなれるのだろうか)。
子を思う親の愛の深さ。
異国の地でただ一人、ひたすら娘のために、身を粉にして働き続けた男の人生。
そして親から子へ、命のリレー。娘はアメリカで「産婦人科医」になって、
親の恩に報いて生きていく。
親の愛、夫婦のきずな。
誠実さ、一途、謙虚さ、人の一生、人生の重み。
そんなことを考えさせられた番組でした。
「泣きながら生きて」はそんな感動的なドキュメンタリーだった。
いつかまた、再放送されますように!
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