癒しの風、千年の祈り

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家相の科学

家相の科学

家相と言えば、迷信的なイメージを持つ人が多いですが、
先日、清家 清の「家相の科学」という本でを読んでみたら、目からウロコ。
建築学、住居学的にきちんと説明され、納得できるもので、迷信とは程遠い
ものでした。これが本来の家相学なのでしょう。

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家相と言えば=「北東の鬼門」や建物の「欠け」くる吉凶のように思われているが、
それは家相全体から見れば”ほんの一部”にすぎない。

「家相」は、快適で心地よい「住まい」をつくるための先人達の経験と知恵の結晶であり、
家相の大部分は科学的にも根拠があり、建築的にも説明できるものなのだ。(但し、鬼門
や建物の「欠け」などを除けば)。

問題は、家相と言えば=鬼門や建物の「欠け」などが強調され、
『快適で心地よい「住まい」をつくるための先人達の経験と知恵』という大事な部分が
後ろに追いやられてしまったことにある。

清家 清氏によると、家相の内容は大きく三つの傾向にまとめることができます。
1.建築計画学的、工学的あるいは住居学的に根拠のあるもの
2.家に関した社会的なタブーを表したもの
3.科学的に全く説明のしようがないもの

1.2.に分類されるものは、建築学的にも科学的にも合理的に説明でき、
家相の大部分はこの中に含まれる。

清家 清『家相の科学』−建築学が発見したその真理−、光文社
コンパクトで読みやすい本です。
関心のある人は一度、読んでみてください。

  1. 2012/03/31(土) 16:37:24|
  2. 日々のできごと
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精神世界と量子力学

最近、量子力学に関心が湧いてきて、いくつか本を読んでみました。
奇想天外な説があったりして、面白い、実に面白いのだ。
そして、精神世界に共通する部分もある。

例えば「精神世界」には、「意識が現実を創造している」という考え方がある。
「量子力学」も同じで、「観察者」(人の意識)が現実に影響を与え、
「意識が現実を創造している」とされる。


物質を構成するのが原子です。
原子は原子核と電子からなり、原子核の回りを電子がグルグルと回転運動をしている。
これが我々が物質と呼ぶものの姿である。
問題は原子核と電子の距離である。

例えば、後楽園にある野球場「東京ドーム」があります。巨人の専用球場です。
仮に、原子核の大きさを「パチンコ玉」とし、これを東京ドームの真ん中に置くとする。
原子全体の大きさはどれくらいかと言うと、ほぼ東京ドーム全体の大きさになる。
(ちなみに東京ドームは直径が約201m)

それがどうした? 何が問題??

問題は原子核と電子の距離である。
原子核(真ん中のピッチャープレート)と、電子(東京ドームのスタンドの奥)までの
間は何もなく、空間なのである。「原子核と電子」の間はこれだけの距離があり、
しかも二つの間には何もなく、スカスカの状態であるということです。

食べ物の「スイカ」で言うと、
スイカの真ん中にゴマ粒のような小さな「原子核」があり、
そして、外皮の周辺を「電子」が回転している。たったこれだけである。
中身はなく、スカスカの状態、これが「原子」の正体である。

この原子のいくつか集まったものが「分子」で、
分子の集まったものが、私たちが「物質」と呼んでいるものである。

私たちが固い物質と思っているものが、実は「空」(くう)なのである。

今、あなたはイスに座って、パソコンを見ていますが、
あなたが固い固体と知覚しているイスは、中身のない空間だらけと言ったら、
あなたはどう思うだろうか?

そんな馬鹿な・・・「はぁ?」ですよね。

イスはまぎれもなく固い物質であり、だから私はイスに座っているし、
そんなこと、手で触ってみれば簡単に分ることじゃないか・・・・

しかし、物質の中身は空(くう)、これが現代科学の出した答えである。
電子顕微鏡で原子の姿を見れば、その事が分る。

もし、イスが固い固体ではなく、しかも中身のない空間だらけなら、
私たちはいったい何に腰をかけて座っていのるのだろうか??

私たち人間は「物質は固いもの」と信じている。
それは絶対的な暗黙の了解である。
その信念が、架空の固体を創っているのだろうか?

例えば、机の上に「花瓶」が置いてあるとする。
あなたの目と、花瓶の間は「空間」になっていますが、ほんとうにそうだろうか。
ほんとうに何も存在しないのだろうか。

目に見えないものは存在しない、それが社会の暗黙の了解である。
私たちは子供のころから そう言い聞かせられ、生まれながらに持っていた能力が
制限され、見えるものまで見えなくなったのではないだろうか。

続く・・・
  1. 2012/02/20(月) 16:52:43|
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第三の目の開眼

第三の目の開眼

このごろ、スピリチュアルカウンセラーという仕事に興味を持つ人が多い。
人を癒す力は誰しも持っている。それはただ眠っているだけです。
眠っているものを目覚めさせるには、能力の開発が必要ですが、それは後でも
よいことです。まず、「意識を磨くこと、心のあり方を見つめること」、
それなくしては本当の能力は完成しない。


大切なことは、
・意識が純粋であればあるほど、より多くのものが得られる。
・自分の”気づき”以上のものは与えられない。
・「エゴ・我」があれば、そこから「歪み」が生れる。
・意識に曇りがあれば、必ず個人の「フィルター」がかかってしまう。
・考え方に「片寄り」があれば、そこから間違った情報を得て、判断を誤る。

能力を磨くことが先決ではなく、
まずは「自分を磨くこと、意識を磨く」ことが大事。


癒しの仕事・・・
「人のためになる」ことをするのは、決して、人様のためではなく、
「すべては自分のため」にすることです。後で、そのことが分かってきます。
癒す人も、癒される人も「同じ」、何かを学んで、共に成長していきます。
だから「○○○させていただく」という言葉が使われる。

第三の目」は眉間に位置し、エネルギーをビジョン化するところです。
第三の目を通して、意識の世界を垣間見ることができ、多くの意識界
との交流も可能です。ここが開くと、透視や霊視などの力が出できます。
霊的能力の開発に関わるところです。


しかし、ここを強制的に開くと、その弊害も大きい。
死霊・悪霊など、見たくもないものが、四六時中、見えたりします。
そのため、後になって後悔する人もいます。精神に異常をもたらす人もいる。
「第三の目」の開発は、決して都合のよいことだけではありません。

昔から、「行者の早死に」という言葉がある。
「行者(ぎょうじゃ)とは、山伏や修行者、修験者のことです。
山に入って修行し、滝に打たれて修行し、厳しい修行を行い、
「加持祈祷」などを行う人達です。

では、どうして「行者の早死に」という言葉が生まれたのでしょうか?

以前、女性の方から相談を受けたことがある。
かなり「念」の強い人で、時として、母や姉と口論になったりすると、翌日、
母や姉は体調を悪くして、寝込んだりすると言う。以前、友人と言い争いになり、
それで頭にきて、瞬間的に「死んじまえ!」と思ったら、翌日その友人は自動車
事故に会い、怪我をしたそうです。似たような事が何度もあったという言う。

人は何かを強く意識すると、エネルギーが放出される。
何かに対して怒れば、「怒りのエネルギー」が放出される。
人が何かを考えたり、イメージをすれば、そこにエネルギーが集まり、
状況(形)を形成していく。これが意識の力である。

考えていることが意識できるうちは良いですが、人間には「無意識」と
いうのがある。これが大きな問題です。人は無意識の内に何かを思い、
その事を気づいていないのだ。

そして、意識的であれ無意識であれ、「ちくしょう、死んじまえ!・・・」
などと思ってしまうと、そこに自分のエネルギーが流れてしまう。
思考は、意識的であれ無意識的であれ、感情と考えに膨大なエネルギーを
消費してしまうのである。

無意識の内に思ってしまったことに、自分のエネルギーが流れ出てしまい、
そこにエネルギーがどんどん流れ出たら、どうなるだろうか??

例えば、電池をそのまま使っていると、だんだん電池がなくなり、最後には
寿命が尽きてしまう。減少したエネルギーはどこかで補充しなければなりません。
人間も同じである。

加持祈祷・・・災厄消除、病気平癒、家内安全、心願成就・・・・
そこにエネルギーを費やせば、費やすほど、自分の中のエネルギーは減少して
くる。念が強い人は、なおさらの事である。そして、減少したエネルギーは
どこかで補充しなければなりません。それができないと体が弱り、最悪の結果
を迎えることになる。それが「行者の早死に」という言葉でしょう

例えば、ガソリンが満タンに入った自動車。
一端スイッチが入ってしまうと、ガソリンが無くなるまで、エンジンはかかった
ままである。それに気づいて、スイッチを切らない限り、ガソリンが無くなる
までエンジンは動き続け、最後には止まってしまう。

これと同じです、一端、第三の目にスイッチが入ってしまうと、同じような事が
起こる。自分の意識をコントロールできないと、たとえ無意識であっても、何か
を思っていれば、そこにエネルギーがどんどんと流れ出でしまうのである。
そしてエネルギーが尽きて、最後は滅死である。

第三の目が開眼すれば、意識の世界を垣間見ることができ、多くの意識界との
と交流も可能です。透視や霊視などができるようになります。しかし、自分の
思考を制御できないうちに、第三の目が開くと、無意識の内に思ったことで
あっても、そこに膨大なエネルギーが費やされる。この危険性が付きまとう。

だから、第三の目を無理に開かないこと。
自分の心、意識をしっかりコントロールできるようになることが大切で、そう
したことができるようになれば、自然に第三の目も開けてくるようになる。
まずは「意識を磨くこと、心のあり方を見つめること」です。

こういう私も、あることをキッカケに、第三の目が動きそうになったことがある。
眉間のあたりがムズムズした感覚になったのですが、その際に届いたメッセージ
が上記の内容で、「滅死」という警告であった。


追伸
人が一日に思考を働かせている回数は、およそ5万〜6万回と言われる。
しかし、自分で何を考えていたか、そのほとんどは自分で覚えていないのが普通
で、その大部分は無意識での思考である。





  1. 2011/02/25(金) 13:19:44|
  2. スピリチュアルな話
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内なる神、内なる仏

「すべてがひとつ、すべては神」

今、書店に行くと、リーディングやチャネリングなど、精神世界の本がいっぱい
ありますが、その多くは海外の翻訳です。

私たち仏教徒の祖、お釈迦様からメッセージはなぜ少ないのか、とずっと思って
いましたが・・・。久しぶりの和書、日本人に書かれた本に出会って感激です。

『心の旅』−ある求道者の完成への道−
原田健児 著、ナチュラルスピリット、


禅仏教の真理を求めて25年、そして涅槃の境地、「すべては一つ」を体験した人です。
物語風にして書かれ、非常に読みやすい本です。一気に読み終えました。

著者の原田さんが出会ったのが、禅寺で修業するアイルランドの女性。
彼女に最初に会ったとき、周囲の風景が真っ黒になって、彼女だけが真っ白に浮かび
上がるという不思議な現象が現れたという。

彼女は、原田さんに向かって『初めてお会いしたんじゃないですね。
インド時代の縁ですね』と言ったという。・・・映画になるようなシーンである。


時代、場所、宗派が違っても、真理を悟った人はみな同じことを言う。
著者は言う・・・一番重要なことは、「すべては一つであり、すべては神である」。
「外に仏を求めず、己の内に仏を求めよ、内在の仏を顕現せよ」と。


私たちの魂の一番奥底に横たわる「仏性」、すべての人が本来的に持っている仏性は、
宇宙の本源・本質=神と同じもの。これがお釈迦様の「本来の教え」である。
お釈迦様が一番伝えたかったこと、と私は理解する。

仏教には、「内在の仏(ほとけ)」という言葉がある。
神道には、「分け御霊」(わけみたま)という言葉がある。
西洋では、「内なる神」という。みんな同じ意味なのだ。


イエス・キリストも同じことを言った。
「神はひとり一人の心の内に宿っている」。これはイエスの最大の教えであった。
「私は自分が何者であるかを知っているが、あなた達はそれを知らない。
私とあなたの違いは、たったこれだけである」と。

神は外には存在しない、自分の内にあるのだ。私たちひとり一人にある。
もともと自分の内にあるものを、いくら外を探しても(神は)見つかるはずがないのに・・・
しかしどの宗教も、そのことについては公然とは言わない。

もし、神は一人ひとりの心の内にあり、キリスト教の教会には神は存在しない言えば、
信者は教会に行かなくなるだろう。そして教会の権威は失墜してしまうだろう。
聖職者はそのことを恐れ、「新約聖書」を書き換えた言われる。
イエスの最大の教えを消し去ってしまったのだ。

もし、神社にお参りに行っても、そこには神は存在しないと言えば、どうなるだろうか?
(もちろん神社には、それを守護する神々は存在しますが)。
だからどの宗教も「内なる神」については、公然とは語らない。

神社にお参りに行った際、神殿に向かって手を合わせるだけではなく、
ほんとうは自分の「内なる神」にも手を合わせなければならないのだ。
なぜなら、すべての人間の胸の内には、神なるものが宿っているのだから。


お釈迦様の教えを正統に伝えたと言われるのが「中国禅仏教」である。
古今東西、すべての聖者で、瞑想(座禅・内観)をせずに、悟った聖者は一人も
いないと言われる。実際、そうである。ある人にとっては、この座禅・瞑想を行うことで、
すべての真実が見えてくる。過去世も未来も。

宇宙の本源・本体と自分が一つになるのが座禅です。
座禅・内観・瞑想というと難しく聞こえますが、簡単に言えば、心を鎮め、
意識を統一し、内在する神に意識を集中する方法です。

一番重要なことは、瞑想を通して「すべてがひとつ」、すべては神だと知ること。
すべては創造主の分霊であり、皆同一のものであり、ひとつであり、神そのものである。

この「すべては一つ」という体験をすれば、「あなたと私」ではなく、
「あなたである私」だと分かってくる。自分と他人が一つであることが分かる。
それが分かれば、この地上に争いや戦争はなくなるだろう、と言う。


「神仏は、人に、人を愛する権利と、人を許す権利を与えたが、人を裁く権利は与えていない」。
仏教でも「一切、人を評価するな」と教えている。

「人を悪く言わない」、「心の中で人を悪く思わないこと」、
これを徹底すると、魂は飛躍的に進化すると言われる。
実際、悪口や非難、また人を見下したりすると、
その人のエネルギーは落ちていきます。


お勧めの一冊です。関心のある方は、お読みになってください。
きっと何かを得るはずです。感謝!


  1. 2010/03/16(火) 16:38:57|
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シリウスのHPが復活

待望のシリウスのホームページが復活

以前、「シリウスのホームページ」というのがあって、
この度、8年ぶりに再開されたようです。嬉しいです。
スピリチュアルな人には、大人気のホームページで、
ファンも大勢いました。それが復活です。。

「神との対話」というタイトルで、皆様からの「質問」に対して、
神なる者からメッセージをもらって、それを掲載しております。
私もこのホームページから多くのことを学ぶことができました。
感謝、ありがとう。

関心のある方は以下のホームページをご欄ください。
シリウスのホームページ

私の場合、次のメッセージが大変勉強になりました。
11歳の少女より
病気を治したい 
病気の意味  

皆さんは、どの内容に関心を持たれただしょうか?
  1. 2010/03/16(火) 16:37:02|
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